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元アナリストは笑いながら答えた。
「九八年明けに、Mのポジションが売りだったのは間違いない。 Bが銀買い付けを発表した二月三日、相場は大きく上がってしまった。
これがそのまま彼の損失になったはずだ。 ただ市場規模を考えると、これだけでプリンストン債のカネを全部なくすのは難しい。
為替取引のほうが規模が大きいからね。 つまるところ、本人に聞くのがいちばんの早道だろう。
もちろん、その通りだ。 後にニューョークの拘置所でAに会った時、銀相場の一連の出来事について質問してみた。
すると彼は、R弁護士が長年の知人であること、当時複数の市場関係者と情報交換したことは認めたが、損失金額についてはノラリクラリと返答を避けた。 ただ、前述のD・M・N紙とのインタビューでも、彼は自身の売りポジションを手締まっていることを認めている。

その前後の相場上昇を考えると、相当の損失が発生したのは間違いない。 一方、買いで攻めたW・Bはどうなったか。
買い占め発表から一ヵ月後の九八年三月中旬、B・H社は株主に宛てた手紙で、前年の銀買い付けで九七四○万ドル(約二七億円)の利益が発生したことを報告した。 もっとも年明け後も買いポジションは残っており、利益はもっと膨らんだ可能性もある。
またご丁寧に、銀買い付けなどに費やした資金は全資産の三パーセントにも満たず、「価格の乱高下があっても、われわれの財務状態に目に見える影響はない」(同社のレターより)そうだ。 勝者の余裕と言おうか。
金融市場がゼロ・サム・ゲームである以上、売り方の損失は買い方の利益となる。 日本人が失ったカネの一部はバフェットの利益につながったと見て間違いない。
プリンストン債で獲得した資金を、M・Aは為替、債券、商品など、さまざまな市場に投資していく。 自称・天才トレーダーの彼にとって、日本の潤沢なカネは大きな武器だ。
そこに立ち塞がったのが、超大物投資家W・Bだった。 そして、その多彩なキャストはこれだけではないのだ。
銀相場でF社を訴えた前述のR弁護士が、ニューョーク連邦地裁に提出した訴状のなかに奇妙な文章が入っている。 「一九九七年五月から年末にかけて、F社及び他の被告らは、銀在庫の買い付けを実施した。
この行為は一部分が、R・N・Bを通じて行われた」と。 「F社及び他の被告らは銀先物で大規模な取引を実施し、その一部は一九九七年九月下旬、二月、一二月にR・N・Bを通じて行われた」と。
銀相場で繰り広げられた闘いは、Bの圧倒的な勝利で幕を閉じた…。 高金利に目がくらんだ日本人には想像できない世界が、プリンストン債事件の背後で進行していた。

ここまで取材して、Rという社名を聞いてピンと来なかったらどうかしている。 さっそく米国会社年鑑を引いたら一目瞭然だった。
R・N・Bとは、Aがプリンストン債資金の運用、保管に使ったR証券の系列会社だったのだ。 銀相場で売り方に立ったAの代理店がR証券だとすれば、その系列会社が、敵であるB側に立って買い出動するとは、いったいどういうことか。
明らかな利益相反ではないか。 この点を、拘置所でAに尋ねたところ、興味深い答えが返ってきた。
「九七年一二月、私は北京に旅行したが、帰国した時に銀相場は一オンス六・五○ドル近辺まで上昇していた。 これはきっと何者かの価格操作に違いないと思い、私は顧客に警告を発した。
当時、自分自身は銀のポジションは持っていなかったが、連中(買い方)はR・N・Bを通じて買い漁り、それを私の仕業に見せかけようとしたのだ。 当然、私ではR側は、Aを銀相場で騙していたというのか。
「その通りだ。 Rは買い漁った銀をロンドンに移送し、さらなる利益を狙っていたはずだ。
私がこんな嘘をつく必要があると思うのか」と。 (Aには悪いが、銀相場のポジションはなかったとの言葉は頭から信じられない。

当時の報道や市場関係者の証言を総合すると、彼がアクティブに取引していたのは間違いだ。 B・Gの代理人、そして、もう一人、彼らのゲームに参加した重要人物がいる。
彼も同じ時期に銀相場に関心を抱き、巨額の資金を惜し気もなく投じていた。 MS社会長で世界一の大富豪、B・Gである。
カナダのバンクーバーにP・S・Cという鉱山会社がある。 R・Bという地質学者が九四年に設立した銀専門の中堅企業で、メキシコ、ペルー、ロシアなどで採掘事業を行っていた。
同社が一躍脚光を浴びたのは九九年九月二九日だった。 B・Gが資産運用の一環として、P社の株式の一○・三パーセントを取得したと発表したのだ。
これについてR側は当時、「ノー・コメント」を貫き通した。 だが客観的に見て、AとBのどちらが勝とうが負けようが、彼らにはどうでもよかったはずだ。
買い方、売り方どちらに味方しても、R側には代理店として手数料が入ってくる。 相場が暴騰しようが誰が損しようが、彼らの懐は膨らむ。
ただ粛々と取引を仲介するだけだ。 ことビジネスに関しては、超合理主義の外資の本領を発揮したと言うべきか。
同社の株価は前月の約八ドルから二ドル近辺まで急上昇した。 その後、P社が前年の二月、W・Bに同社への投資を呼びかける書簡を送っていたことが明らかになった。
前述したBの銀の大量買い付けで相場が暴騰した直後である。 Bが銀に食指を動かしたのなら、現物だけでなく銀鉱山株にも関心があるはずと、P社は読んだに違いない。

だが彼らの期待に反して、Bからは何の返答も寄せられなかった。 そして、それから一年後の九九年二月、まったく別の大物投資家がP社株を密かに買い集め始めた。
これがB・Gだった。 実際に同社株を買ったのは、KというGの個人資産運用会社だ。
代表者はM・R、四○代の元債券トレーダーである。 米西海岸ワシントン州にあるKが運用する資産は五○億ドル(当時)にのぼるが、投資戦略はベールに包まれてきた。
その実態に初めて光を当てたのが、九九年の米F誌だった。 それによると、B・Gの個人資産五○億ドルのうち、三五億ドルは短期国債や社債に、七億五○○○万ドルを個別企業の株式、二億五○○○万ドルを不動産や商品市場に回しているという。
「ウォール街の目と耳の役割を担うRは、電子メールで頻繁にGと連絡を取り合い、六週間ごとに投資案件について会合を持つ。 (中略)自分はリスクは取らないとRは語るが、株式のみならず、彼は債券、為替、不動産などに目を注いでいる」と。
B・GとW・Bが個人的に親しいのは有名な話だ。 週末のランチなどで二人が、市場の動きや有望な投資先の意見交換をするのは容易に考えられる。
P社のB社長によると、この年の初めにRが接触してきた時、驚くほど銀市場について調べあげていたらしい。 Bに同社への投資を勧誘する書簡を送った一年後である。
またGたちがF誌の取材に応じたのは九九年の二月、彼の投資活動であらぬ憶測を呼ばないようにとの理由だった。 この頃、KがP社の株買い付けを開始した。

さらにまったく同じ時期に、ニューョークの銀相場が再び暴騰を始め、Bの暗躍説が曝かれた。 銀相場が上がれば鉱山会社の株価も当然上昇する。
強力な掩護射撃だ。 ちなみにGのK社はBのB・H社の株主でもある。
これだけの出来事がまったく同じ時期に重なったのだ。 偶然にしては、あまりに話ができすぎている。


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